神の火

一般に日本では、よほど親しくない限り政治(政党)の事と宗教の事について話すのはタブーとされてきた。
3月11日に発生した東日本大地震により、新たなタブーが加えられた。原発についてである。
事故発生から半年が経過し、このエントリーを書いている時も収束がいつになるか、はっきりと答えが出ていない。

ところで、原発を素材にした高村 薫の『神の火』という小説がある(但し、題材となってるプラントは加圧水型)。
初版は1991年。世間は原発について無関心だった頃に出版されたが、プラントの非常に精緻な描写が特徴の小説である。高村作品を原作にした映画やドラマは何本か世に出されているが、『神の火』に限っては、「原発におけるテロ」を題材としている関係からか、映像化はされていない。

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以下、ネタバレを含む記述があるので注意。
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その中に興味を引く表現があったので、引用して紹介する。なお、高村薫は文庫化の際に大幅に修正をする作家として有名で、この描写も単行本のみ収録され、文庫版にはない。

何ということはない。ただ蓋を開けたというだけのことだ。たった今まで核分裂を起こして熱を発していた原子炉の蓋を、開けたというだけのことだった。〔中略〕格納容器の遮蔽性能は完璧であり、原子炉保護の各機能も、ミサイルでもぶち込まれない限り、百パーセント動作する。
 それでも、おそらくこの原子炉に二度と火は灯らないだろう。修理にかかる費用に、テロリストの侵入に脅えた世論を合わせたら、誰にも払いきれない額になる。この一基に限っての話だが、少なくともこの原子炉は確実に死んでいく。蓋をされ、密封され、解体作業が出来るようになるまで、五、六年の眠りにつくのだ。
  ――高村 薫『神の火』新潮ミステリー倶楽部特別書下ろし版(ISBN 4-10-602726-7) 377ページより引用

小説では主人公であるテロリストが原子炉の圧力容器の蓋を開け、逃走するところで終わっている。
小説内でも論述があるように、圧力容器の蓋を開けただけでは、炉の健全性に重大な影響が出るわけではない。福島第一原発のように原子炉建屋が爆発することも、外部に重大な放射性物質の漏洩が起こるわけでもない。それでも、小説ではこの蓋を開けた炉は廃炉になるだろうと結ぶ。
この小説を読んだ感想は、そんな重大な事故(事件)が起こるはずが無い、というものだった。現に、9.11のテロの後、世界最大の原発を擁する柏崎刈羽原発では24時間体制で海上保安庁の高速巡視艇が海からの監視業務についていた。

だが、実際の世界はあまりにも残酷すぎた。
外部からのテロという形ではなく、地震・津波とそれに続く人災によって広範囲に放射性物質がばら撒かれた。
あの事故以来「脱・原発」をテーマにした集会やデモが多く開かれているという。エネルギーの輸入率、火力発電による料金の値上げと産業の空洞化、再生可能エネルギー発電の不安定さ、これからの社会構造。考えなければならない問題は山積している。原発反対を感情論にまかせて繰り広げて良いのだろうか、と思う。
これからも原発を続けるにしても、廃止するにしてもどちらを選んでも相当の痛みを伴う。感情論でない理性的な論議が必要ではないかと思う日々である。


着物と暮らし

着物は何故普及しないのか?
この命題に答えるのは、簡単で意外と難しい。

一言で言うなら、「時代の要請に答えていない」からなのだと思う。
以下は実体験に基づく、和服で暮らすにおいて問題点。

高価であるというのが1つ目の壁。
総中流時代で上向き景気が続いていた昔では、一式は揃えるという物だった着物だが、確実に上向き成長を約束されない昨今の景気状況では一式揃えるのさえ、経済的困難が伴う。化繊の安価な物も生産されていないことはないが、普及しているのは日常的に着物を着る人が利用している程度に留まっている。個人的にも普段着なら化繊でも抵抗はないが、礼装は考えてしまう。

生活様式が西洋化している、のが2つ目の壁。
実際に着物を着て生活してみるとよく分かるのだが、生活様式が着物と合わなくなっている。初心者が袖を引っかけやすい扉が引き戸から開き戸が増えている。また、新築の家では畳敷きからフローリングが増え、着物と相性の良い住環境が減少している。

夏場の酷暑が深刻化しているのが3つ目の壁。
元々、今の和装は今よりずっと夏が涼しかった頃に様式化されたもの。寒さ対策という方向では、そこそこ対策できるが、暑さにはめっぽう弱い。佐野も35度の夏日に白衣と袴で屋外作業をしてダウンした記憶がある。

以上、利用する側から見た問題点を列挙してみた。
実際にはこれ以外にも業界が抱えている問題などがあるが、それは別の機会でも。


まだ秋葉原が輝いていた頃

先日、開催されたコミケ帰りに秋葉原に寄った。

丁度、同軸ケーブルが必要になっていたので、オヤイデ電気で切売りのフジクラ製ケーブルを購入した。
オヤイデ電気の店内は各種電線が所狭しと積んであり、2階へは梯子で上る(店員のみ)という、どこか「萌え」を売りにした店など無い、在りし日の秋葉原を思い浮かべさせる。オヤイデ電気だけでなく、所謂秋月通りの各電子部品店(秋月電子・鈴商・千石電商)も同じように秋葉原の中で時間が止まったかのような雰囲気を醸し出している。
秋月電子や千石電商の客層は、今の秋葉原のメインゾーンから離れた30~50代だと思う。秋月通りに入ると、佐野は何故か安心感を覚える。自分の嗜好が「萌え」系とは相いれないからかもしれない。
だが、秋葉原の電子パーツ店の現状は極めて厳しい。つい最近も準大手の電子パーツ屋が撤退した。また、聞くところによると大手と言われる秋月電子でさえ総売り上げの内、秋葉原店が占める割合は少なく、通販が80%近くを占めているという。
それでも、店内は商品を手に取るのが困難なほど込み合っていて、これからの日本を担う若い人もちらほら見え、少し安心感を覚える。

そういえば、昔は秋葉原の各所でジャンクショップ(やコーナー)があり、ジャンク漁りを楽しみにしていたのだが、最近は殆ど見かけなくなった。あの頃(95年)はまだ秋葉原の店舗にも余力が残っていたのだろうし、近年の電子機器の規制強化でジャンクとはいえ簡単に売り物に出来なくなったのも衰退の一因かもしれない。あるいは単に、ジャンクという意味が理解できない買い物客によって店が疲弊したのかもしれない。

いずれにしろ、11時になってやっと店を開け、16時30分には店を閉じる、というが多い秋葉原だったが、大した購入金額でなくても相談に乗ってもらったりと色々と思い出がある。
昔は最新技術の集まるところだった秋葉原だが、今や定番商品や保守品を買う場所で、最新技術を搭載した商品は専ら通販が主流となった。
それでもなお、そのような淡い思いでが佐野が秋葉原に出向かせる要因となっているのかもしれない。

WINDOWS95が業界標準になる以前、パソコンの世界がもっと未成熟で、だからこそもっと刺激的だった頃の話だ。
   ――涼元悠一『青猫の街』より


宴の後に

同人界最大の祭典、コミケ80も無事終了しました。
今回も色々な方のお話・創作物から刺激を受けることができ、参加した甲斐がありました。
これで超遅筆な執筆速度が上がるのでは、と目論んでいます。(苦笑)

さて。
神道・歴史系サークル「まさに外宮!」さんの作品を読んでいて思いついたのが下記の企画。

『タイラーの贈物』
宗教学に偉大な功績を遺した、エドワード・タイラーの『原始文化』が提唱したアニミズムを元に日本の信仰を探る。健全な内容だが、どう頑張っても若い人(高校生以下)に理解できる文章にするだけの筆力が無いので18歳以上推奨。
企画・割書き段階に入ったが、肝心の『原始文化』の訳本が手元に無い。原典に当たらずに著述するな、と大学では教えられてきたので適当に書くのは躊躇われる。今日現在、日本語訳版の古書は「スーパー源氏」にも「日本の古本屋」にも登録されていない。
企画倒れで終わるか、今後の古本屋の動向が注目される。
何か聞き覚えのある書名、元ネタは数学書の名著『オイラーの贈物』です。

あと、サークルの方と話していて思ったのが、専門図書館の紹介などは需要がありそうという事。
この辺りは、フライヤーで業界紙紹介兼短評と専門図書館紹介の執筆中(進捗:文章80%完了、仮組版中)だったのだが、A4両面刷りで全面ベタ文字を想定しても、とても収まらない。かといって冊子状にすると見本誌提出が必要になってくる場合があり、話をしていて需要の無さそうな業界紙系は削除の方向で調整中。それでも無理そうなら、小冊子で出す予定。

掲載図書館:国立国会図書館(東京本館・関西館)、天理大学付属図書館、名古屋大学付属図書館(の一部図書)、宗教情報リサーチセンター(略称RIRC、ラーク)、神宮文庫、大倉精神文化研究所付属図書館(未確定)。(順不同)
掲載基準:特に学術機関に所属が無い一般人でも無料ないし低価格で利用ができる図書館。


コミケ80 始末

来夏、参加ジャンルの視察を兼ねて、3日目一般参加。

予定より早めの時間に到着してしまったが、とりあえず西側待機列に並ぶ。
やや曇り気味の晴天ながら、待機列に時折風が吹いているのが救い。TFT後方付近で逆三角を眺めながら恒例の拍手。参加者数の割には、滞留することなく入場できた。
ちなみに佐野の主要戦場である評論・情報エリアは頒布速度が一般・サークル側共に未知数な要素が強く、確実に手に入れるには毎回待機列に並ぶ必要がある。
そのような理由から、そのままブロックのある東2ホールへ直行。今年は定期的に顔を合わせているサークルが悉く落選するという事態となり、今までの参加サークルとの交流よりブロック全体の雰囲気の視察を重視し、あまり同人誌は買わず。

適度に初期の混雑が収まってから、西館の交流のあるサークルに挨拶と渡す物があったので、恐怖の東西連絡通路を渡る。東から西の流れはまぁ順調。
意外だったのは西館の歴史ブロックで、巨大な鳥居風ディスプレイをしているサークルを発見したこと。それを見て、ひょっとして評論での参加より歴史の方が合っているのでは、と思った。歴史系サークルで日本神話本を買っていると、一度会ってみたかった東館の某サークル主筆者が戻ったとの連絡を受け、混むのでやりたくなかった西から東へ移動という苦行を開始。
予想通り、西から東への連絡通路は混雑が酷く、移動に難儀した。唯一、東館への移動者とビックサイト退場者の分岐地点のスタッフの言葉に癒される。「夢から醒めた、現実に戻りたい人は左側の出口へ、まだ不完全燃焼だという強者の人は右側の連絡通路へ。」流石スタッフのレベルも高い。

ひとしきり話を終えた後、流石に2巡目を行う体力が残っておらず、14時に退場。
今回のコミケで少々気になったのは、エスカレーター担当の係員の指導が手薄だったこと。
佐野としては、コミケ会場で社会的重大ニュースになる事故を起こさないことが、次回開催の条件だと思っている。この辺りはスタッフの指導だけでなく、全参加者の協力があって初めて達成されるが、ビックサイトエスカレーター逆走事故直後の回に比べると指導が薄い気がした。1ステップに3人で乗る例や一段飛ばしを守っていない人を沢山見かけた。

閉会後に新橋で飲み会が予定されていたので、早めに撤収先のホテルから新橋へ移動を開始。
予定通り新橋の(?)路地裏で迷う。早めに新橋駅に到着したのが救いだった。時間に余裕があれば、今や世界的に有名企業の東電本社前近くにあり、その経歴から一部の人の間では有名な「八官神社」に参拝する予定だった。だが、開始予定時刻までの40分で新橋~銀座まで往復して1平方メートルの小さな小さな社を探し、参拝するのは無理と判断し断念。
実を言うと、飲み会の参加者の内、2人もその神社に参拝済みだった。恐るべし…。

酷暑とアルコールの相乗効果で致命的な失態を演じることもなく、宿にたどり着く。食べた量からして、相当東京の熱にやられていた模様。地元も都心と同じ位気温が上昇するが、朝夕の涼しさは段違い。
コミケ4日目(国会図書館で資料の閲覧)があるので、日付が変わる前に就寝。


神と神をわけたいか

神はUnicodeでU+795E上にマッピングされている。
一方、神はU+FA19上にマッピングされている。

Unicodeの意義からするとこれは奇妙なことである。神(U+975E)は各国の文字コードに割り当てがあるので、なんら問題はない。神(U+FA19)は今のところJISとAdobe-Japan以外でコード割り当てがない。つまり、神(U+FA19)は他の漢字文化圏では需要が殆ど無いか、Unicodeという国際規格云々の前に国レベルの文字コードとして包摂されている可能性が高い。
このような字形は普通、U+975Eの中にU+FA19を異体字として包摂するのが本来の方法である。わざわざ異体字に別のエリアを割当てるのは異質に感じる。Unicodeとして漢字統合を進めたのだから、使用頻度に関わらず、異体字は同じ文字コードを割当てるべきだったのではないか。Unicode側の言い分としては、広く流通している漢字なので、別コードを割当てたということになっている。
今回問題にした字はたまたま別の文字コードが割り当てされているが、異体字で同じコードに包摂されている字も存在する。その辺りの基準が見えてこない。
ここまでがUnicode側の問題点。

Windows環境では、この漢字表示に混乱が見られる。
MS Pゴシックやメイリオでは正しくU+975EとU+FA19が区別されており、両者ともUnicode標準の字形に近い。このフォントを使う限りにおいては、ほぼ入力者の意図通りに区別されて表示される。
一方で、非漢字言語圏から参照される割合の高いArial Unicode MSではU+975EもU+FA19も同じ神として表示されてしまう。

コード上では別の字として扱われるが、フォントによっては同じ字として扱われている「神」。
なかなか、受難の漢字である。


日本人と宗教知識

最近、伝奇系ADVや小説で神道(系)を内容に含むものが増えている。
あまりに宗教的に誤った内容である場合が多く、黙認できる限界を超えたので、エントリーにしてみる。
(註:以下の文章は一般向け、かつ正確性を期すると長くなりすぎるので、かなり省略している箇所がある。専門教育を受けた方は優しい心で読んで頂けると幸い。)

まず、佐野(ID:Lusaka)が問題視している点
・そもそも現代の日本では宗教知識を公教育で全く教えていない。一応、高校の倫理科目で世界三大宗教を教える場合もあるようだが、教育ではさわりだけ。また、正しく教えているという保証も無い。(註1)
・いい加減な日本神話本(古事記と日本書紀を一冊の本にして解説したような類の本)が跋扈している。古事記と日本書紀はその意義も内容、細かい点では学会の成果が異なるので分けて解説すべきだが、一冊にした為、誤りも多い。というより、学際的に正しい論述の方が少ない場合が少なくない。(註2)
・初心者が手を出すにはあまりに危険な本(例えば、神代文字や「ひふみ」神示など学術評価の対象となっていないもの)が多く流通している。表現の自由があるので強くは言わないが、この手から入ると将来痛い目にあう可能性が高い。
・神社神道が一般に教化活動を積極的に(他宗教と比べて)行っていない。(註3)
・日本では「宗教」を扱う高等教育機関が圧倒的に少ない。(各々の神学だけでなく宗教学を含む)(註4)

以上のような背景により、世間には誤った宗教知識が氾濫している。
例えば、宗教文化士の試験問題例10問の内、7割方正答を選べる(択二なので)日本人はどれ程いるだろうか。(註5)ただし、回答に専門知識が必要な問10を除く。これ一つをとっても日本人の宗教知識の貧しさがよくわかる。
やや脱線気味であるが、日本神話について。知らない外国人に正しく内容、編纂の経緯や意図を伝えられる日本人は極めて少数派である。

このような環境の中で冒頭の誤った内容が広がる。
彼らシナリオライターやイラストレーターの罪深い所は中途半端な知識で一応の対価を得ている所にある。そして、それがあたかも正しい情報であるかのように無勉強な一般人を媒介して、世間に誤った内容が伝播する。
大麻で修祓(註6)を行う巫女などはその良い例である。一社の故実(註7)で全く無いとは言わないが、それは極めて稀である。また、シナリオ上に出てくる神々についても、間違った理解の元に記述されている例が多い。記紀をつまみ食いした結果、内容に不整合が見受けられるケースもある。

では誤りを糺すにはどうすれば良いか。
平均的な日本人のレベルが低い為、ライターのレベルが低くなると、ある人が述べていた。これは一理あると思う。
まず、宗教に対する色眼鏡を取り去ることだと佐野は考える。例えば、危険一色で報道されているイスラームという宗教(実際には生活様式を定めたルールに近い)が、狩猟民族で過酷環境であるあの灼熱地域の安定に如何に役立ってきたかを考えると分かりやすいと思う。
また、日本国内における宗教報道は宗教界の不祥事か季節を感じる伝統宗教の話題、靖国問題に偏向している。先の阪神淡路の震災でも社会貢献を行った新宗教は悉くメディアから黙殺されている。(註8)
その上で、少なくとも日本人的価値観の成立に影響を与えた宗教や思想(神道や仏教、儒教)の基本的な知識を学術的に評価の定まった正しい本で得ること。
最後に時間はかかるが、日本人の宗教知識の底上げが必須であろう。そして、宗教について他人と忌憚なく話が出来る社会を作ることである。これには、宗教知識の誤りを糺すという意味もあるが、カルト(正しくはセクト)対策や日本の宗教政策に対する誤解解消や問題点の是正(註9)という意味も含んでいる。

以上、浅学ながら私見を述べさせていただいた。

註と改版履歴
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初版
某氏の発言から勢い余って作成。佐野の日頃の鬱憤に良い意味で火を付けてくれた某氏に多大な感謝を。

第2版
追記及び平易な言葉へ差し替え。誤字脱字や表現の変更。註を新規追加。

第3版
全体の表記を若干変更。註8、9を追加。

註1:そもそも担当教員が宗教の専門教育を受けた人ではないので質を期待できない。某宗教の信者に対して発言すると軽蔑語となる言葉を普通に教えている教員もいる。佐野的には免許更新制なのだから、担当教員には宗教の「今」を更新時に追加で学ばせるべきと考える。
註2:解説本はまず奥付にある参考文献を確認。これでハズレの本を購入するリスクは大幅に低減できる。参考文献に文庫本が多い本は注意した方が良い。文庫本では、字数の関係から単行本より内容が薄い場合が多い。また、日本書紀を扱った部分では一書の扱いが極めて雑か無視されることが多い。
註3:「言挙げ」せずの宗教と言われているが、それ以外にも諸問題から積極的な教化は行われにくい。
註4:キリスト教系大学でも神学を学べる割合は少ない。仏教系は最近になって学部復活の動きあり。神社神道系は学ぶ気があれば学べる。問題は全国で2校し
か無い点。宗教学については学ぼうと思っても、東京大学以外に選択肢が事実上無い。京都大学や東北大学でも不可能ではないが規模で見劣りする。
註5:「宗教文化士」が宗教の高等教育を受けた人向けなので、難易度が若干高めではある。特に社会常識では問10は解けないだろう。佐野としては、問1~8までは国際化した現代における一般常識と認識している。問9は稀に宗教学者が関連ニュースでコメントを求められる時がある。その時にこの学者は何者か理解する為にも、この程度の知識は欲しいと願う。
註6:祭りに先だって、参加者の罪穢れを清める行為。巫女は祭祀補助者という立場なので、原則として祭祀はできない。
註7:全国的に祭りの手順が統一化される明治時代より前のその神社独自の祭り方などを指す用語。
註8:石井研士 著『テレビと宗教―オウム以後を問い直す』 (中公新書ラクレ) 2008 参照。
註9:宗教法人は未だに全面的に免税である、といった類から政教分離の誤解や改正宗教法人法の新宗教に対する悪影響など。


ガイガーカウンター自作

昔、秋月電子のキットに浜松ホトニクスのGM管を使ったガイガーカウンターがあった。
正確には、カウンターという立派な代物ではなく、GM管の放電反応をダイレクトにブザー音で知らせる物だった。

当時、中学生だった佐野は秋葉原の店頭でこんな物まであるのか、と驚嘆したことを覚えている。まだ秋葉原界隈が未成熟で、だからこそもっと刺激的だった頃の話だ。
ただ、使われている部品が部品故に、秋月電子のキットの中でも値段が高く、中学生が簡単に出せる金額でなく結局買わずじまいだった。
そして、キットに使われているGM管はメーカー都合により廃止品となり、いつの間にか店頭からキットは消えていた。(風の噂によると、GM管担当の人が退職したので製造できなくなり廃止したとも聞くが真相は不明)

そして、忘れもしない3月11日の事故を日本は迎える。
この日以降、「ガイガーカウンター」という単語は市民権を得、巷にはドイツ製など実績のある物から怪しい物までガイガーカウンターは流通することになる。
そんな状況を指を佐野は咥えて見ているだけだったが、ついにSBM-20という管を使ったガイガーカウンターのキットを某所から入手した。キットにはカウンターなどと名前が付いているが、このキットでSvへの換算などはやらない方が良い、場の線量の多い少ないを確認する程度の代物である。一応、メーカーの設計通りならばcpmからSvへ変換できるが、無校正・低線量由来のノイズを考慮すると下手にやらない方が良いだろう。

早速、久しぶりの半田付けを楽しんだあと、実際に身の回りを測定してみた。
Sv/hへの換算もできるので、測定してみたが(繰り返すが、個人的にはcpmからの換算はお勧めしない)概ね公表されている値と佐野の住んでいる場所では数割り増しの値が出るだけでだった。これはベータ線もカウントしているからだろう。
福島辺りでは草地と更地で有意差が出ると聞いていたので、ここ(中部エリア)でも試してみたが、地表積算10分の測定では誤差程度しか差は出なかった。

人間の五感では感じ取れない放射線を検知できるようになって、測定マニアとしては被害に遭われた方には不謹慎だが放射線の計測は中々面白い。本当はこんな日々が訪れるべきではなかったのだが。
余談だが、コレクションのウランガラスや放射能を含んだ鉱石の状態を確認できるというメリットもある。

まだ夢の中に居る。


ファン故障

外出先でちょっとした軽作業に使用していた、EeePCの冷却ファンが壊れた。
今まで、ガリガリと異音を発しながら風を発生させていたので、恐らく軸受けが破損したのだろう。このノート、冷却はこの一つのファンで全てを賄っているので、ファンが止まると恐ろしい勢いで内部温度が上昇する。
流石に低発熱のAtomプロセッサとはいえ、CPUダイ内のダイオード温度が70度、基板温度が80度まで上がると、こちらも冷や汗物である。(耐熱限界とか、部品の張力によるクラックの可能性とか…)

さて、どうしたものか。
実はこのノート、HDDを750GBに換装するという処置をしており、メーカー修理に出すことが出来ない。
困ったと思って、eBayを覘くと、丁度同じ型番用のファンが単体で売られている。アカウントはあるが、セラーさんが海外発送をしてくれるかが最大の問題だ。
ファンの代替品が用意できるまでは、怖くて電源を入れられない。

CULVノートの台頭でめっきり見かけなくなったネットブック。
佐野としては、ほぼ1kg程度のコンパクトさと長時間稼動、低価格と非常に魅力的な商品だった。前者2つが揃った、ビジネスノートで10万円前半からという中で、5万円程度と非常にありがたかった。


節電と図書館

夕食の買出しのついでに公立図書館に立ち寄った。

不要な照明を落としているからだろうか、震災前より館内は薄暗い。
そして、蒸し暑い。自治体の施設だけあって、エアコンを極限まで使用しないようにしているのだろう。非常用排煙窓まで開けて対応している。利用者の不快を少しでも和らげる為か、団扇の貸し出しもやっている。
自治体の施設が率先して、節電に取り組むという姿勢は十分に理解できる。

問題はそれを図書館が行なうべきか、という事である。
この図書館、結構な密度で背の高い書架が並んでいる。書架にもそれなりの密度で本が収納されている。
となると、折角窓を開けて外気を取り込んでも、空気の流れは館内の背の高い書架に遮られてしまう。また排熱は書架の間で滞留する。結果、館内には人間が発した熱気が篭り、蒸し暑い状態となる。これは利用者へのサービスの質の低下に繋がりかねない。また、フィルター等を通さずに闇雲に外気を取り入れることは、蔵書に大敵の害虫の侵入を許す可能性がある。

節電と図書館、中々難しい問題ではある。


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