まだ秋葉原が輝いていた頃

先日、開催されたコミケ帰りに秋葉原に寄った。

丁度、同軸ケーブルが必要になっていたので、オヤイデ電気で切売りのフジクラ製ケーブルを購入した。
オヤイデ電気の店内は各種電線が所狭しと積んであり、2階へは梯子で上る(店員のみ)という、どこか「萌え」を売りにした店など無い、在りし日の秋葉原を思い浮かべさせる。オヤイデ電気だけでなく、所謂秋月通りの各電子部品店(秋月電子・鈴商・千石電商)も同じように秋葉原の中で時間が止まったかのような雰囲気を醸し出している。
秋月電子や千石電商の客層は、今の秋葉原のメインゾーンから離れた30~50代だと思う。秋月通りに入ると、佐野は何故か安心感を覚える。自分の嗜好が「萌え」系とは相いれないからかもしれない。
だが、秋葉原の電子パーツ店の現状は極めて厳しい。つい最近も準大手の電子パーツ屋が撤退した。また、聞くところによると大手と言われる秋月電子でさえ総売り上げの内、秋葉原店が占める割合は少なく、通販が80%近くを占めているという。
それでも、店内は商品を手に取るのが困難なほど込み合っていて、これからの日本を担う若い人もちらほら見え、少し安心感を覚える。

そういえば、昔は秋葉原の各所でジャンクショップ(やコーナー)があり、ジャンク漁りを楽しみにしていたのだが、最近は殆ど見かけなくなった。あの頃(95年)はまだ秋葉原の店舗にも余力が残っていたのだろうし、近年の電子機器の規制強化でジャンクとはいえ簡単に売り物に出来なくなったのも衰退の一因かもしれない。あるいは単に、ジャンクという意味が理解できない買い物客によって店が疲弊したのかもしれない。

いずれにしろ、11時になってやっと店を開け、16時30分には店を閉じる、というが多い秋葉原だったが、大した購入金額でなくても相談に乗ってもらったりと色々と思い出がある。
昔は最新技術の集まるところだった秋葉原だが、今や定番商品や保守品を買う場所で、最新技術を搭載した商品は専ら通販が主流となった。
それでもなお、そのような淡い思いでが佐野が秋葉原に出向かせる要因となっているのかもしれない。

WINDOWS95が業界標準になる以前、パソコンの世界がもっと未成熟で、だからこそもっと刺激的だった頃の話だ。
   ――涼元悠一『青猫の街』より


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