コミケ80 始末

来夏、参加ジャンルの視察を兼ねて、3日目一般参加。

予定より早めの時間に到着してしまったが、とりあえず西側待機列に並ぶ。
やや曇り気味の晴天ながら、待機列に時折風が吹いているのが救い。TFT後方付近で逆三角を眺めながら恒例の拍手。参加者数の割には、滞留することなく入場できた。
ちなみに佐野の主要戦場である評論・情報エリアは頒布速度が一般・サークル側共に未知数な要素が強く、確実に手に入れるには毎回待機列に並ぶ必要がある。
そのような理由から、そのままブロックのある東2ホールへ直行。今年は定期的に顔を合わせているサークルが悉く落選するという事態となり、今までの参加サークルとの交流よりブロック全体の雰囲気の視察を重視し、あまり同人誌は買わず。

適度に初期の混雑が収まってから、西館の交流のあるサークルに挨拶と渡す物があったので、恐怖の東西連絡通路を渡る。東から西の流れはまぁ順調。
意外だったのは西館の歴史ブロックで、巨大な鳥居風ディスプレイをしているサークルを発見したこと。それを見て、ひょっとして評論での参加より歴史の方が合っているのでは、と思った。歴史系サークルで日本神話本を買っていると、一度会ってみたかった東館の某サークル主筆者が戻ったとの連絡を受け、混むのでやりたくなかった西から東へ移動という苦行を開始。
予想通り、西から東への連絡通路は混雑が酷く、移動に難儀した。唯一、東館への移動者とビックサイト退場者の分岐地点のスタッフの言葉に癒される。「夢から醒めた、現実に戻りたい人は左側の出口へ、まだ不完全燃焼だという強者の人は右側の連絡通路へ。」流石スタッフのレベルも高い。

ひとしきり話を終えた後、流石に2巡目を行う体力が残っておらず、14時に退場。
今回のコミケで少々気になったのは、エスカレーター担当の係員の指導が手薄だったこと。
佐野としては、コミケ会場で社会的重大ニュースになる事故を起こさないことが、次回開催の条件だと思っている。この辺りはスタッフの指導だけでなく、全参加者の協力があって初めて達成されるが、ビックサイトエスカレーター逆走事故直後の回に比べると指導が薄い気がした。1ステップに3人で乗る例や一段飛ばしを守っていない人を沢山見かけた。

閉会後に新橋で飲み会が予定されていたので、早めに撤収先のホテルから新橋へ移動を開始。
予定通り新橋の(?)路地裏で迷う。早めに新橋駅に到着したのが救いだった。時間に余裕があれば、今や世界的に有名企業の東電本社前近くにあり、その経歴から一部の人の間では有名な「八官神社」に参拝する予定だった。だが、開始予定時刻までの40分で新橋~銀座まで往復して1平方メートルの小さな小さな社を探し、参拝するのは無理と判断し断念。
実を言うと、飲み会の参加者の内、2人もその神社に参拝済みだった。恐るべし…。

酷暑とアルコールの相乗効果で致命的な失態を演じることもなく、宿にたどり着く。食べた量からして、相当東京の熱にやられていた模様。地元も都心と同じ位気温が上昇するが、朝夕の涼しさは段違い。
コミケ4日目(国会図書館で資料の閲覧)があるので、日付が変わる前に就寝。


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