雅楽 一覧

文化を遺すということ

雅楽関係者で有名な、鵜殿という場所がある。
この場所は、大阪府高槻市を流れる淀川流域のヨシ群生地である。この鵜殿でとれたリードに相当する蘆舌が最高品とされてきた。そのような鵜殿が存続の危機に陥っている。
このまま言挙げせずに放置すると後悔しそうなので、エントリーを書いてみた。

再び事態が動き出したのは、朝日新聞の記事が伝えている。

新名神 建設再開へ 国交省03年凍結の2区間
 国土交通省は、2003年に建設が凍結された新名神高速道路の2区間の着工を認める方針を固めた。採算がとれないとされていたが、地震に備え、物流に必要な道路の整備を進める方針に転じた。完成すれば、新名神は全線が開通する。〔中略〕新たに着工する2区間は、大津市―京都府城陽市と同府八幡市―大阪府高槻市の計35キロ。〔中略〕ただ今回の2区間は小泉政権が進めた道路公団民営化で採算がとれない恐れがあるとして、着工が凍結された。〔後略〕

「朝日新聞」 名古屋版朝刊 2012年4月2日号より

この新聞記事で対象となってる京都府八幡市~大阪府高槻市までの区間に鵜殿が含まれている。計画では、鵜殿を横切る形で高速道路の建設が予定されている。
この新聞記事にもあるように、元々高速道路は計画されていたが、諸々の都合により着工は凍結されていた。その間にも、日本の雅楽の総まとめ的な役割を果たしている雅楽協議会が声明を出すなど、高速道路と共生できる計画を目指して活動を続けてきた。だが、基本計画は大幅に変わることなく着工を迎えた。
鵜殿に高速道路が開通すれば、毎年春に行われているヨシ焼きは、煙等の制限から縮小せざるを得ないだろう。この事一つにとっても、葦の生育にはマイナス要素となる。先人たちが環境改善の試行錯誤を繰り返し、今では鵜殿の葦の育成環境も大分良くなってきただけに、ショックである。

失われた伝統技術を取り戻すのが、如何に難しいか一例を示そう。
「文羅(もんら)」と呼ばれる服飾技法がある。装束の冠の額に特定の文様を入れる際にも使われることで有名な技法である。〔参考:冠の名所(などころ)の図
この技法、平安後期には次第に使われる例が(冠や半臂、女房装束の裳のみ)減少し、有職故実が大きく散逸したことで有名な応仁の乱(1467)で中絶した。この技法が復元される動きが出てきたのが、昭和天皇の御大典(1928)の折であった。この間、実に500年。復元されるまでは、代替技術も生まれてきたが、完全に再現という訳にはいかなかったようで、置き換えには至らなかった。平安の世は今日のように優れた記録技術が存在しなかったとはいえ、復元までの500年と言う長さは、失われた伝統技術を取り戻す難しさを端的に示している。

以下は余談である。
佐野は大学時代に、消えゆく伝統文化をテーマに1年近く研究を行った。
文献を読み漁り、実地に赴き、調査を行う。
それらの体験から肌で感じたのは、失われた技術や文化を復活させるのは、本当に難しいということである。
たとえ、高度で完全な形で映像記録や文献が残っていても、それらから生まれるのは資料から再生産された(模倣された)文化でしかない。

本当に手遅れになる前に、関係各所が協力し、両者が納得できる形で解決できることを、切に願う。


三管を学ぶ

まず、三管とは何か。
ご存知の方もいるとは思いますが、雅楽でいう三管とは「篳篥・龍笛・笙」の3つの管楽器を指します。それぞれの楽器は、地上の人々の声、天をいく龍の声、地上へ差し込む光を表現していると言われています。なお、雅楽のプロ(純粋に雅楽演奏でも飯を食っていけているという意味で)の方に誰も聞いたことの無いはずの「龍の声」について説明してもらいましたが、十分には理解できませんでした。
いずれにせよ、この3つの楽器が雅楽では重要な役割を占めています。

私の母校の大学では雅楽の講義も用意されてた。
しかし、雅楽という名称にも関わらず、楽器は龍笛のみとなっている。恐らく、楽器の費用や準備にかかる手間を勘案した結果だと思う。笙では入門用でも10万円はする。また、篳篥は演奏前に廬舌を緑茶で柔らかくする必要がある。このような理由や汎用性の高さで龍笛が選ばれたのでは、と思う。

実を言うとこの頃、大学で龍笛の講義を取りつつ、趣味で篳篥を個人的に習っていた。
唱歌が龍笛と篳篥では似ているところがあるので、同じ曲だと意識しないと別の楽器の唱歌となり苦労したのを覚えている。
雅楽に詳しく、笙をやっていた友人からは「よく二股できるねぇ」と言われた。

引っ越した今の所では、雅楽に対して積極的な地域ではないらい。ゆえに、この人から教えを請いたいという人を見つけられず、休止状態である。
元々の住んでいた場所の雅楽の盛り上がりやスキルが全国的平均から見て活発すぎた、というのもあるだろう。
もう少し生活に余裕が生まれれば、また篳篥を再開したいと思う。