学びの道 一覧

GeNii、サービス終了

国立情報学研究所が提供する学術コンテンツポータル、GeNiiが2014年3月31日17時をもってサービスを終了することがアナウンスされた。

CiNii(論文情報)、WebcatPlus(大学図書館の蔵書検索)、KAKEN(科研費助成事業DB)、NII-DBR(学術研究DB・リポジトリ)、JAIRO(機関リポジトリ)の5つのサービスを横断的に検索することができるのが目玉だった。GeNiiのサービス終了の告知には、「サービスの利用状況および昨今の学術情報流通環境を鑑み」としか記述されておらず、何が原因となったのかは、外部から窺い知ることが出来ない。
ただ、提供しているサービスの中でも、比較的需要があると思われるCiNiiやWebcatPlusは4月1日以降もサービスを継続するようなので、総崩れにならずひとまずは安心といったところだろうか。

佐野が個人的に気になった文言として、「昨今の学術情報流通環境を鑑み」という点がある。
確かに、国立情報学研究所が果たしてきた役割は大きい。無償で最先端の知へのアクセスを提供し続けている事に対しては、ただただ感謝するのみだ。
一方で、電子書籍や電子ジャーナルを中心として商用サービスも少しづつではあるが動き出している。ただ、これら商用サービスは県立などといった大規模図書館(所謂、第二線図書館)や大学など研究機関向けの価格設定であることが多く、個人で導入するにはまだ敷居が高い。
そのような意味から、サービス終了はもう少し遅くても…、と個人的に思った次第だ。


残念な電子図書館 NII-Electronic Library

日本を代表する学術論文検索サービス、CiNii Articles
佐野も便利で学部生の頃から使っている。
一部の論文は、PDFデータとして無償ないしは有償でオンライン公開されおり、検索結果からシームレスに閲覧できる。ただ、このサービスが残念な仕上がりになっている。

公開されている論文がPDF内に画像として保存されているのだ。
著作権保護のためか、提供されるPDFファイルはパスワードによって保護されている。許可されているのは文章の「印刷」のみだ。
結果として、論文内を検索することができない。正規に論文内を検索しようと思えば、一度紙に印刷したものをOCRにかけるという人的、物的に資源を浪費する方法を採らなければならない。
従って、利用者が後から各々のAcrobatに搭載されているOCR機能を利用することは許されていない。提供されているデータは高品位な画像データだけに、OCRによる電子化がなされていないのは残念である。PDFの設定によっては、OCRによる文字を埋め込んだまま、本文のコピーを防ぐということもできる。もし、電子化データの流出を防ぐという意味で保護をかけ、OCRをしていないのであれば、それは実質的に無意味な行為である。世界にはPDFのパスワード保護を無効化するソフトが市販されており、これを使えば、無劣化でAcrobatのOCR機能などが利用ができてしまうからだ。
根本的に防ぐにはDRMの導入しかないが、学術的なサービスには相いれないだろう。

根源的な問題には、現行著作権制度が学術著作物に求められるであろう著作権保護と合致していない点がある。
雑誌に掲載された論文は一本全部を複写できるが、論文集になるとそれが出来なくなる、などというのはその最たる例であろう。

話が逸れた。
もう一つ、PDFファイルには気になる点がある。
サービスを利用したユーザー名、日時、IPアドレスがメタデータとしてPDFに埋め込まれているのだ。
家庭などのパーソナルな場所からのアクセスでは問題ないのだろうが、学校や企業からでは場合によってはIPアドレスが漏れるとまずい場合があるだろう。これも、著作権に配慮したものと推定できるが、それならPDFにユニークなIDを割振り、提供サーバーにログを保存しておけば済む話だ。


死を見つめる心

東京大学教授で日本の宗教学に偉大な功績を残した宗教学者、岸本英夫。
氏が逝去して、48年が経つがその功績は未だ色褪せていない。

そんな岸本宗教学の精華ともいえるのがこの『死を見つめる心』である。
黒色腫に侵されることによって、宗教を客観的に見る立場から主観を含んだ立場へと変化させた。人が変わった、という表現があるが、ガンと告知を受けた後の氏もまたその一人である。欧州講演、図書館長就任、遺稿となった『世界の宗教』の執筆開始など激務に身を晒すことによって、ガンと対峙したのである。

「死を別れの時とみるならば、日常生活の別れの場合にも人々がそうするように心の準備をしておく必要がある。平生のその時その時の経験を、これが最後のものであるかもしれないという気持ちで、よく噛みしめておかなければならない。そのようにして、十分に心に納得させておけば、最後の死の別れが来ても、人間はその悲痛に耐えることができる。死を別れと見るということは、毎日々々、心の中で別れの準備をしておくことである。この考え方も、死に立ち向かう自分の心の大きな援けになった。」
  ――岸本英夫「癌の再発とたたかいつつ」より 『死を見つめる心』所収

無名の人であれ、有名な人であれその闘病記は壮絶である。そこに当人の生死観が滲み出るからであろう。
だが、氏の場合には、もう一つの視座があった。死を扱う宗教を研究する学者としての学問の立場から死を分析する視座である。

震災を契機に、大学で学んだこととを重ねつつ、あの頃にこの方面からもっと勉強しておけば良かったと後悔しながら本書を読んだ。自分の言葉では、この岸本宗教学の面白さを到底伝えることができない。興味を持たれた方は、入手性も良い文庫になった本書を手に取ってほしい。


日経サイエンス

佐野は大学こそ文系学部だったが、サイエンスが好きな人間である。
そんな人間なので科学系の雑誌は世間一般に比べて多く読んでいる。日本で科学系の雑誌というと有名どころでは「Newton」がある。これは中・高校生位でも読めるほど、易しく書かれている。
ややマイナーな雑誌としては、「日経サイエンス」がある。この雑誌はScientific Americanの翻訳論文が基本なので、ある程度(理系大学教養レベル)の知識がないと読み辛い所がある。あと、東京化学同人の「現代化学」があるが、一般書店で扱いが殆どないのが残念。

そんな「日経サイエンス」から興味を引いた記事を紹介。

2011年1月号より、ハッブルを超えて ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡。
天文学に輝かしい記録を残してきたハッブル宇宙望遠鏡。さらに上を狙うジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)計画が地上での最終段階を迎えている。
打ち上げ制約から宇宙空間で命ともいえる主鏡を展開するという野心的な計画である。また、JWSTは地球と太陽のラグランジュポイント2に展開されるため、あまりに地球から遠く、有人での修理や改良といったメンテナンスが困難である。このような技術的課題をどう克服していくか、非常に興味深い。

2011年2月号より、正念場迎えるマラリアワクチン。
日本でマラリアは遠い存在だが、世界レベルで見ると脅威を振るっている病の一つだ。
マラリアは寄生虫によって発生する病気だ。ワクチンの開発が成功すれば、世界で始めての寄生虫に対するワクチンとなる。他に生ワクチンのような方法をとる研究チームや媒介する蚊に抗体を作らせるという斬新なアプローチも紹介されている。
実験者自らマラリアに意図的に感染してみて、アプローチの結果を判断するという、ちょっと日本人には理解されないような検証方法を実行しているチームが存在していることには驚いた。

2011年6月号より、国史が語る千年前の大地動乱。
今回の震災と類似が指摘されている貞観地震。六国史の一つである日本三代実録に記された記録からその実態を探る記事である。日本三代実録という、どう考えてもニッチな本に読み下し本があるのはこの記事を読むまで知らなかった。個人的には、日本三代実録の写本が本文の写真として記事内で使われたのが残念。歴史を扱っていた人間の感覚からすれば、校訂の入った國史大系の方が優れていると思うのだが、やはり活字本では写真写りが良くなかったのだろう。

一冊1400円と一般向け雑誌の中では若干高い分類に入る「日経サイエンス」だが、「Newton」に物足りなさを感じている人にはおススメである。


大震災と宗教者

東北を支援しようという輪は日本はもとより、世界にまで広がりを見せている。
殆ど報道はされていないが、宗教界からも支援が広がっている。

しかし、支援主体が宗教団体の場合、教団名を大っぴらにすると、逆に怪しまれたり利用されるのでは、と被災者が思ってしまう事が少なくない。大抵の場合は、そういった事情を配慮して所属をアピールすることなく、ただ一支援者としてサポートに回ることが多い。
一支援者としての支援となると、○○教団は何を支援した、という情報がマスメディアから流れなくなる。唯一統制のとれた情報源は各々の教団が出している広報媒体だが、これをチェックするには相当の労力を要する場合が多々ある。

ちなみに阪神淡路の時は、新宗教・新新宗教団体の活躍が素晴らしかった。
特に公共団体がまだ動いていない初動時期においてヘリをチャーターして食料物資を空輸する教団・大規模な医療チームを派遣する教団…などである。ある程度支援が進むと、地味に仮設トイレを清掃する教団も現れてきた。伝統宗教は、と言うと残念ながら十分に活躍できなかった。そもそも社寺が被災しており、自分の事で手一杯、他人のサポートまで出来ないという状況が多かったと聞く。

翻って、今回の震災。
情報技術はあの当時から大幅に進歩した。各教団の支援状況がほぼ一日更新で分かるサイトが現れるなどした。阪神淡路の時よりはかなり情報入手は易しくなってる筈である。所轄庁には、十分情報収集をお願いしたい。それが公益法人を監督する務めであるように思う。

無事復興し、その時宗教者は何をしたかを確かに歴史に残すために。


東京で学ぶ

今日はコミケの最終日でした。
本心を言うと、『宗教学の地平』が完成していない今のうちに一般参加したかったのですが、病やら何やら不自由な身なので、そうも叶わず…。

それは兎も角、東京に出かけると、「もっと勉強したい病」が発動するので怖い。
やはり情報の集積度が違う都市部で勉強(修士課程)をしたいな、と常々思います。数奇な運命を辿った母校の大学に設置されている大学院も悪くはないのですが、地方都市ゆえのアクセスの悪さ(特に他館図書館収蔵の資料へのアクセス)に泣かされてきた学部時代の記憶があるので、そのまま大学院に進むという気にはならなかった。
母校の大学の近くにその分野で一線級の専門図書館があるではないか、と突っ込まれそうですが、学部時代の主専攻のテーマ(宗教社会学)と微妙にズレているので使い勝手はあまり宜しくなかった。

そんな調子なので、いつかは、と思っているのだが、それが何時になるのかは未定。