日本の伝統 一覧

神宮の配信はしょぼいのか?(完結編)

20年に一度執り行われる内宮の遷御の儀は滞りなく終了した。
当ブログでは、この模様の動画配信について考察をエントリーにしていたが、今回はその顛末である。
なお、ここに記載されている内容について、十分に調査した上での公表としているが、正確性については完全には保証できない。

さて、結論から言うと、かなり関係業者が頑張ったのではないかと思う。100点は与えられないにしても、素晴らしいと称賛できる内容であった。
確かに、遷御の時刻に近づくと配信用回線が混み合い、何度か接続をリトライしないと繋がらないという場面も見受けられた。(註1)
一方で、配信用サーバに一度繋がってしまえば頻繁に接続が途絶えるという事もなく、そこそこで安定して視聴することができたのではないだろうか。
また、配信の詳細を知らない人が一見しただけでは、生放送なのか、前エントリーでも触れた遅延送出を利用しているのかは、判断がつかないようだった。この辺りは、十分に進行が練られていた為と思われる。

肝心の内容であるが、画質はビットレートの割によく、暗部再現などもあの条件下では優れていたと判断してよいだろう。雨儀ではなかった、というのも配信にとっては味方した。
音声は、現地で集音したものに各種行事(神事)の解説音声をミックスダウンしたものが用いられていた。諸事情により、解説者の方のプロフィールを知ることが出来なかったが、解説の内容などから、神宮の職員の方かそれに近い人であろうと推測する。(註2)生放送に近い動画配信は遷御の前までで、それ以降は一定時間経過後にストリーミング形式として公開、という形になった。この辺りは宗教の聖性も絡んでくるので、全てを公開というのはなかなか困難を伴うことは想像に難くない。

もともとの、sengu.infoのホスティングがこの業界では有名な(株)かっぺが担当している辺りからも、手堅く安定志向で纏めた、そのように感じた動画配信であった。
それでも、この神社界において動画配信を行う事自体が画期的ではあるのだが…。
付記しておくと、一部Webサイトにおいては、指定視聴環境外のMac OS X + VLC Media Playerで視聴する方法が提示されるなど予想外な展開も見受けられた。

参考までに佐野(中部エリア在住)のパソコンまで映像ストリームをtracerouteにかけてみると、どうやら神戸付近でビジネス向けフレッツサービスにパケットが放出されているようだった。

恐らく一番、盛り上がったであろう東海エリアにおける地上波の主要遷宮関連番組(ニュース枠等短時間を除く)は下記の通り。
三重テレビ(主制作)
19:00~19:30 伊勢神宮式年遷宮「始」
19:30~20:55 お伊勢さん「第10回 中継・内宮 遷御の儀」

三重テレビ制作番組受け 各放送局
19:00~19:54 伊勢神宮式年遷宮「始」
19:55~20:50 お伊勢さん「第10回 中継・内宮 遷御の儀」

NHK総合(放送:北陸・東海エリア)
22:00~22:45 遷御がつたえる日本の心~第62回伊勢神宮式年遷宮~

東海テレビ
25:08~26:38 東海テレビ開局55周年記念 真夜中のお伊勢さん ~遷御の夜に生放送

註:
インターネット環境 フレッツ光ネクスト隼、PR-400系ONU一体型HGW、収容先バックホーンはIIJ。
神社新報社が発行する神社神道系宗教専門紙「神社新報」、平成25年9月23日号第1面によると、配信の冒頭挨拶は田中恆清氏(伊勢神宮式年遷宮広報本部長)、進行・解説役は千種清美氏(作家・皇學館大非常勤講師)と神社本庁職員が務めるとのこと。


神宮の配信はしょぼいのか?

神宮の配信はしょぼい。
そんな声が聞こえた。

まもなく、伊勢の神宮の式年遷宮における最大の重儀「遷御の儀」が斎行される。
当日は原則として、関係者しか神域に入れない。そこで、伊勢神宮式年遷宮広報本部はこの遷御の儀を動画配信することにした。だが、その配信が貧弱であるとSNSで声が上がっている。
確かに、配信を視聴できるのはWindowsXP以降のOS、クライアントはWindowsMediaPlayer11以降のみの環境だ。MacOSX、iPhone系のiOS、Andoroid等では公式には視聴ができない。さらに不親切な事に視聴に必要となる最低帯域が明示されていない。1昔前の標準的な動画配信サイトに戻ったような印象さえ与える。

さて、ここで話を少し変えて1ページの技術レポートがある。著作はIIJのエンジニアの方。
IIJという会社に馴染みが無い方に簡単に説明すると、日本で初めてインターネットの商用化を進めた法人向け企業である。
より多くのスクリーンに映像を届ける配信ベストプラクティス

要約すると、現時点での動画配信の最適解はAdobe Flash Video。iOSには、Apple HTTP Live Streaming。Andoroidには、Flash Video。但し、比較的新しい機種はFlashに対応していないので、独自アプリなど要対策、となる。ここまで複雑だと、自分がこれらのプラットフォームに対応した配信サイトを構築しろ、と言われたら頭が痛くなってしまう。最近では、オープンソースの配信プレーヤーもあり、一から作るのに比べれば楽にはなったが面倒な作業だ。

話を戻そう。
今回のケースで理想は、マルチプラットホーム視聴対応かつストリーミング配信。(DRMと制作外注の問題は技術的に趣旨から外れるので検討外)
上記のレポートを参考にすれば前者は対応できそうである。問題は後者。生中継の要素もあるかもしれない。(註)そうなるとエンコードはほぼリアルタイムで、低遅延処理が要求される。配信サーバへの通信回線もしっかりした物(速さより確実に低遅延で通信できるもの)が予備系込で最低2系統は必要だ。配信サーバの負荷予想は難しい問題だ。Twitterなどリアルタイム性の強いSNSの到来で、負荷にムラが出る可能性がある。さらに多種類のプロトコル要求を捌かなければならないから、WindowsMediaPlayerに限定した時に比べて、配信サーバへの負荷もより大きくなるだろう。

The last resort?
幸いなことに、動画の配信サービスはインターネット上で大人気だ。障害耐性もそれなりにある。もちろんマルチプラットホームに対応しているものもある。
国内でストリーミング配信ができる大手でも、Youtube Live、USTREAM、ニコニコ生放送などがある。ただ、これらのサービスは広告があったり、不適切なコメントを排除するコメントモデレーションが必要であるなど、今回のような公共性の強い用途には使いにくい。ではどうするか。結局、豊富なシステムリソースとノウハウを持った商用配信系サービス(例えば、Brightcoveなど)を利用するしかないのではないだろうか。

まとめ。
つまるところ、どこまで本気で配信しようと考えているか、が対応プラットホームを分ける。
ぼくのかんがえた最強の配信、みたいなのを考えると、明らかに金と人の負荷が大きすぎる。戦略的に切り捨てるというのもアリな判断ではないか。もちろん、今回のケースの特殊性から言えば、後日に切り捨てられた側へのフォローアップは必要だと思われる。
上記の理由により、WindowsMediaPlayer限定は致し方なしと佐野は考える。個人的にはMacOSXには対応して欲しかったが…。
高品質な配信にはお金がかかる。でもインターネット上のコンテンツは無料という不可解な空気が漂っている。

今までの遷宮がそうであったように、これからの遷宮も伝統と最新技術の狭間で行われていくのであろう。
今回のその端的な一例がインターネット配信なのかもしれない。

註:
完全なリアルタイムの生放送ではなく、遅延送出システム(Wikipedia)を介した配信を想定。

言い訳とか:
意図的に宗教の聖なる部分は無視しています。今回は純粋に配信技術のみです。
実際に各配信プロトコル・配信サービスの技術資料を斜め読みしたが、当エントリー自体が鮮度が命な内容の為、解説はできませんでした。
自分でも認める位、内容が薄いです。完全に泥縄だったのが悪さをしています。後日談を書くかも。


宗教の最後の日

久しぶりに宗教ネタ。

誰もが知っているような宗教では、創始が遥か昔、今まで綿密と続いているように感じがちである。
それは関係者の努力の賜物であるが、宗教は結構、浮き沈みが激しい分野でもある。

我が日本においても、明治維新後や終戦後のに数回の宗教ブームが発生した。だが、近年はスピリチュアルなど従来の宗教学が定義しない宗教類似行為はブームになっているものの、宗教ブームは発生していない。
ここで問題となってくるのが、宗教ブームに乗った宗教の教化である。
特定宗教に依存しない問題では、団塊世代が信者となっているが、団塊Jr世代は無関心であるというケースである。数の力で勝負してきた面があるだけに、一挙に団塊世代がリタイアとなると、教団の存亡に関わる。
また、教祖に聖性(カリスマ)が強すぎると、次期トップを決めるのに難儀する例は沢山ある。

このような新宗教に対して、伝統宗教は盤石かといえばそうでもない。
巨大化した組織がかかえやすい、硬直化である。
近年は情報技術の発達などによって、社会全体の動きが高速化している。そのような中で、時代のトレンドに合致させるのに時間を要す、所謂「大企業病」に罹患していると思われる教団も少なくない。福島第一原子力発電所の事故を受けて、世間では急速に脱・原発の流れに傾いた。この流れの善悪はここでは保留するが、仏教系宗教団体が脱・原発の声明を発表したのはそれから随分後のことである。

時代の流れに乗り遅れた企業はその市場からの退場という処遇が待っている。
ちなみに、一年間に宗教法人として認可申請される宗教は数百、また、その申請数の半分近い法人が毎年法人格を失っている。

法人格が無くなっただけでは、宗教団体として存続することも可能であるが、不動産の取得や各種手続きなどで、格段に困難が伴う。


着物と暮らし

着物は何故普及しないのか?
この命題に答えるのは、簡単で意外と難しい。

一言で言うなら、「時代の要請に答えていない」からなのだと思う。
以下は実体験に基づく、和服で暮らすにおいて問題点。

高価であるというのが1つ目の壁。
総中流時代で上向き景気が続いていた昔では、一式は揃えるという物だった着物だが、確実に上向き成長を約束されない昨今の景気状況では一式揃えるのさえ、経済的困難が伴う。化繊の安価な物も生産されていないことはないが、普及しているのは日常的に着物を着る人が利用している程度に留まっている。個人的にも普段着なら化繊でも抵抗はないが、礼装は考えてしまう。

生活様式が西洋化している、のが2つ目の壁。
実際に着物を着て生活してみるとよく分かるのだが、生活様式が着物と合わなくなっている。初心者が袖を引っかけやすい扉が引き戸から開き戸が増えている。また、新築の家では畳敷きからフローリングが増え、着物と相性の良い住環境が減少している。

夏場の酷暑が深刻化しているのが3つ目の壁。
元々、今の和装は今よりずっと夏が涼しかった頃に様式化されたもの。寒さ対策という方向では、そこそこ対策できるが、暑さにはめっぽう弱い。佐野も35度の夏日に白衣と袴で屋外作業をしてダウンした記憶がある。

以上、利用する側から見た問題点を列挙してみた。
実際にはこれ以外にも業界が抱えている問題などがあるが、それは別の機会でも。


日本人と宗教知識

最近、伝奇系ADVや小説で神道(系)を内容に含むものが増えている。
あまりに宗教的に誤った内容である場合が多く、黙認できる限界を超えたので、エントリーにしてみる。
(註:以下の文章は一般向け、かつ正確性を期すると長くなりすぎるので、かなり省略している箇所がある。専門教育を受けた方は優しい心で読んで頂けると幸い。)

まず、佐野(ID:Lusaka)が問題視している点
・そもそも現代の日本では宗教知識を公教育で全く教えていない。一応、高校の倫理科目で世界三大宗教を教える場合もあるようだが、教育ではさわりだけ。また、正しく教えているという保証も無い。(註1)
・いい加減な日本神話本(古事記と日本書紀を一冊の本にして解説したような類の本)が跋扈している。古事記と日本書紀はその意義も内容、細かい点では学会の成果が異なるので分けて解説すべきだが、一冊にした為、誤りも多い。というより、学際的に正しい論述の方が少ない場合が少なくない。(註2)
・初心者が手を出すにはあまりに危険な本(例えば、神代文字や「ひふみ」神示など学術評価の対象となっていないもの)が多く流通している。表現の自由があるので強くは言わないが、この手から入ると将来痛い目にあう可能性が高い。
・神社神道が一般に教化活動を積極的に(他宗教と比べて)行っていない。(註3)
・日本では「宗教」を扱う高等教育機関が圧倒的に少ない。(各々の神学だけでなく宗教学を含む)(註4)

以上のような背景により、世間には誤った宗教知識が氾濫している。
例えば、宗教文化士の試験問題例10問の内、7割方正答を選べる(択二なので)日本人はどれ程いるだろうか。(註5)ただし、回答に専門知識が必要な問10を除く。これ一つをとっても日本人の宗教知識の貧しさがよくわかる。
やや脱線気味であるが、日本神話について。知らない外国人に正しく内容、編纂の経緯や意図を伝えられる日本人は極めて少数派である。

このような環境の中で冒頭の誤った内容が広がる。
彼らシナリオライターやイラストレーターの罪深い所は中途半端な知識で一応の対価を得ている所にある。そして、それがあたかも正しい情報であるかのように無勉強な一般人を媒介して、世間に誤った内容が伝播する。
大麻で修祓(註6)を行う巫女などはその良い例である。一社の故実(註7)で全く無いとは言わないが、それは極めて稀である。また、シナリオ上に出てくる神々についても、間違った理解の元に記述されている例が多い。記紀をつまみ食いした結果、内容に不整合が見受けられるケースもある。

では誤りを糺すにはどうすれば良いか。
平均的な日本人のレベルが低い為、ライターのレベルが低くなると、ある人が述べていた。これは一理あると思う。
まず、宗教に対する色眼鏡を取り去ることだと佐野は考える。例えば、危険一色で報道されているイスラームという宗教(実際には生活様式を定めたルールに近い)が、狩猟民族で過酷環境であるあの灼熱地域の安定に如何に役立ってきたかを考えると分かりやすいと思う。
また、日本国内における宗教報道は宗教界の不祥事か季節を感じる伝統宗教の話題、靖国問題に偏向している。先の阪神淡路の震災でも社会貢献を行った新宗教は悉くメディアから黙殺されている。(註8)
その上で、少なくとも日本人的価値観の成立に影響を与えた宗教や思想(神道や仏教、儒教)の基本的な知識を学術的に評価の定まった正しい本で得ること。
最後に時間はかかるが、日本人の宗教知識の底上げが必須であろう。そして、宗教について他人と忌憚なく話が出来る社会を作ることである。これには、宗教知識の誤りを糺すという意味もあるが、カルト(正しくはセクト)対策や日本の宗教政策に対する誤解解消や問題点の是正(註9)という意味も含んでいる。

以上、浅学ながら私見を述べさせていただいた。

註と改版履歴
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初版
某氏の発言から勢い余って作成。佐野の日頃の鬱憤に良い意味で火を付けてくれた某氏に多大な感謝を。

第2版
追記及び平易な言葉へ差し替え。誤字脱字や表現の変更。註を新規追加。

第3版
全体の表記を若干変更。註8、9を追加。

註1:そもそも担当教員が宗教の専門教育を受けた人ではないので質を期待できない。某宗教の信者に対して発言すると軽蔑語となる言葉を普通に教えている教員もいる。佐野的には免許更新制なのだから、担当教員には宗教の「今」を更新時に追加で学ばせるべきと考える。
註2:解説本はまず奥付にある参考文献を確認。これでハズレの本を購入するリスクは大幅に低減できる。参考文献に文庫本が多い本は注意した方が良い。文庫本では、字数の関係から単行本より内容が薄い場合が多い。また、日本書紀を扱った部分では一書の扱いが極めて雑か無視されることが多い。
註3:「言挙げ」せずの宗教と言われているが、それ以外にも諸問題から積極的な教化は行われにくい。
註4:キリスト教系大学でも神学を学べる割合は少ない。仏教系は最近になって学部復活の動きあり。神社神道系は学ぶ気があれば学べる。問題は全国で2校し
か無い点。宗教学については学ぼうと思っても、東京大学以外に選択肢が事実上無い。京都大学や東北大学でも不可能ではないが規模で見劣りする。
註5:「宗教文化士」が宗教の高等教育を受けた人向けなので、難易度が若干高めではある。特に社会常識では問10は解けないだろう。佐野としては、問1~8までは国際化した現代における一般常識と認識している。問9は稀に宗教学者が関連ニュースでコメントを求められる時がある。その時にこの学者は何者か理解する為にも、この程度の知識は欲しいと願う。
註6:祭りに先だって、参加者の罪穢れを清める行為。巫女は祭祀補助者という立場なので、原則として祭祀はできない。
註7:全国的に祭りの手順が統一化される明治時代より前のその神社独自の祭り方などを指す用語。
註8:石井研士 著『テレビと宗教―オウム以後を問い直す』 (中公新書ラクレ) 2008 参照。
註9:宗教法人は未だに全面的に免税である、といった類から政教分離の誤解や改正宗教法人法の新宗教に対する悪影響など。


パワースポット

最近、パワースポットとして、一部の神社において参拝者が増えているらしい。
実際、伊勢に居た時も神宮(内宮)の変化は肌で感じられたので、そう指摘されれば、そうだろう。

個人的に注目しているウィストリアさんがエントリーを書かれていたので、佐野も反応して言挙げしてみる。

このブーム、注目点はやはり「若者」が増えた点だろう。
宗教学一般の知識として、年齢が増えるに従い信仰が厚くなるといわれているので、そこは注目に値する。大自然から何かを得たいという気は理解できなくはない。問題は、その場所が宗教施設であり当の本人の行動が他人の信仰に容易く侵食できてしまう所にある。
神社が公共の場所かどうか―については論議する余地があるだろう。公共性については、所轄する宗教法人法で謳われているが、同じ土台にある教派神道は土台にはあがって来ない。新宗教が胡散臭いという指摘も、例えば天理教は100年以上の十分な歴史がある。何を若者に引き付けているのか―は大体の見当がつくが、残念ながら後ろ盾となる知識を十分に筆者は所有していない。
この辺り、大学で自主的に論文を読んでいない故、概論程度しか話が出来ないのが残念だ。これからの課題としたい。