宗教の最後の日

久しぶりに宗教ネタ。

誰もが知っているような宗教では、創始が遥か昔、今まで綿密と続いているように感じがちである。
それは関係者の努力の賜物であるが、宗教は結構、浮き沈みが激しい分野でもある。

我が日本においても、明治維新後や終戦後のに数回の宗教ブームが発生した。だが、近年はスピリチュアルなど従来の宗教学が定義しない宗教類似行為はブームになっているものの、宗教ブームは発生していない。
ここで問題となってくるのが、宗教ブームに乗った宗教の教化である。
特定宗教に依存しない問題では、団塊世代が信者となっているが、団塊Jr世代は無関心であるというケースである。数の力で勝負してきた面があるだけに、一挙に団塊世代がリタイアとなると、教団の存亡に関わる。
また、教祖に聖性(カリスマ)が強すぎると、次期トップを決めるのに難儀する例は沢山ある。

このような新宗教に対して、伝統宗教は盤石かといえばそうでもない。
巨大化した組織がかかえやすい、硬直化である。
近年は情報技術の発達などによって、社会全体の動きが高速化している。そのような中で、時代のトレンドに合致させるのに時間を要す、所謂「大企業病」に罹患していると思われる教団も少なくない。福島第一原子力発電所の事故を受けて、世間では急速に脱・原発の流れに傾いた。この流れの善悪はここでは保留するが、仏教系宗教団体が脱・原発の声明を発表したのはそれから随分後のことである。

時代の流れに乗り遅れた企業はその市場からの退場という処遇が待っている。
ちなみに、一年間に宗教法人として認可申請される宗教は数百、また、その申請数の半分近い法人が毎年法人格を失っている。

法人格が無くなっただけでは、宗教団体として存続することも可能であるが、不動産の取得や各種手続きなどで、格段に困難が伴う。


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