あの忌まわしき東日本大震災からまもなく、2年。
人々から少しずつ、震災の記憶が消えつつあるように感じる。
以下はあの日を忘れないように、記した個人的なメモである。
本震の揺れが中部地方を襲った時、佐野は室内で作業をしていた。
あまり地震が発生しない地域なので、珍しいな、というが第一印象だった。急激な加速度で揺さぶられるというよりは、水面に浮かべた木の葉の如く、ゆらりゆらりと揺れる感じだった。天井から吊り下げられた照明器具が小刻みに揺れていて、目視でも揺れていることが確認できた。その程度の揺れなので当然、地震動による損害は無し。
暫く経ってから、NHKを見ると緊急番組が放送されていて、その内容から大変なことが発生したと悟る。
夜。
本震と余震の概況を知ろうと、Hi-net 高感度地震観測網にアクセスするも、サーバーダウン。後の報告によると、一般向けサービスは数ヶ月のスパンで止めていたとのこと。
Twitterなどを使い情報収集。当時の呟きログを参照すると、関心があったのはITを利用した被災者支援・原発事故だったようだ。この時点では原発事故に関しては(今思えば)かなり楽観的な呟きが多い。知り合いに原発関係者がいたことも影響しているだろう。肝心の被災地の呟きは「気仙沼の火災」だけで少ない。あまりにも甚大すぎて情報が挙がってこなかったのが影響していると思われる。
「日が昇る(ことによって甚大な被害が見えるようになる)のが怖い」という呟きが印象的。
数日後。
電力の大消費地である首都圏を中心に電力不足が深刻化。秋葉原では計画停電対策にバックアップ用のUPSが売れ始める。
ここ中部エリアでも節電ムードが広がりを見せる。店舗によっては照明の間引きをやっており、薄暗い。この流れは徐々に拡大してゆく。
この頃から全国的に買占めが始まる。被災地から離れたここでも、カップラーメンなどすぐに食べれる食品を中心として、陳列棚が空になる。佐野はオイルショックは経験していないのだが、習った買占めとはこういうものかと体感する。日が経つにつれて、買い占められる食品が菓子など頓珍漢な方向に進行し呆れる。
CiNiiで災害関係の学術論文を閲覧しようとしたが、節電のためにサーバーが稼働を停止。商用サービスのmagazineplusは平常稼働。
1週間後。
相変わらず、報道は震災についての内容ばかり。この頃から海外視点の震災情報を入手したいと思い、CNNのWebサイト、Al Jazeeraのストリーミングなどを見始める。
Googleが震災直後からサービスを開始した安否確認サービス、「Person Finder」のデータ処理が追いつかなくなり一般のボランティアの募集を開始する。内容は被災者情報の文字起し、Person Finderへのデータ入力など。もともと崩し字の解読は得意だったので、Google Mapsなどを被災地の地名確定の参考にしつつ、作業に参加。しかし、被災地から送られてくる携帯電話やスマートフォンで撮影された粗い画像しかないデータの解読に苦心する。扱っている情報の特性上、判断は慎重にならざるを得ず、そこそこの割合で画像が判読不能だった。
さらに数日が経過。
輪番停電と余震という情勢不安の為、首都圏の大学を中心に学位授与式・祝賀会を見合わせる流れが広まる。後輩からの話では母校はそれなりに被災地・首都圏から距離が離れているということもあり、予定通り開催。
23日、東京都の浄水場で暫定基準を超える放射性ヨウ素が検出されたとの報道が流れる。ミネラルウォーターは被災地支援のために品薄だったが、容量を問わず買占めがここ中部でも発生。完全に棚から姿を消す。東京から十分距離がある場所では意味のない行動に苦笑するしかない。
4月。
自粛という言葉がそこかしこで目立つ。
花見や春祭りなどといったハレのイベントが開催中止。同時に被災地へのボランティアの機運が高まる。佐野は諸事情により参加できないので、額は小さいが義捐金を出す。
5月。
世界中がその進展を見守っていた福島第1原子力発電所事故。5月になっても明るいニュースは聞こえてこない。
そうした不安心理もあり、様々なガイガーカウンターが販売されている。一部の製品では非常に性能が怪しいものが、3~5万円という高値で取引されている。
趣味のウラン鉱石収集の道具という実益もあるので、アメリカのショップからソ連製(ロシア製ではない。冷戦時代の代物)ガイガー・ミュラー管SBM-20を何本か購入。震災前は一本US$7程度で取引されていたものが、US$25~35まで高騰。早速、評価回路を組み上げ、空間線量を計測する。当たり前すぎるが、事故後でも増加は見られない。手持ちのウラン鉱石など放射線源(特にβ線源)には良く反応する。