「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」を観た。
原題は「The Imitation Game」。明らかに駄目駄目な日本語訳でB級映画感が漂ってしまっているのが実に惜しい。
中規模のシネコンのレイトショーの回だったが、200人近く収容できるスクリーンにも関わらず、観客は自分を入れて7名だけ。自分を除く6名はどうやらカップルのようで、この回に限らずチューリングに興味がある、というより主演のカンバーバッチ影響で観に来ている人が多い気がした。
主人公は稀代の数学者、アラン・チューリング。
映画は彼の功績の1つである、ドイツ軍が使用していた暗号機「エニグマ」の解読をテーマとした作品である。本作は、少年時代、解読作業が行われた第二次大戦中、そして戦後という3つの時代を行き来しながら進行していく。
=== 以下には若干のネタバレ有りにつき、未見の方は注意 ===
まず意外なのは、作品の鍵を握るエニグマによる暗号化・復号化について、映画の冒頭にさらっとローターとプラグの話が出てきただけで、解説らしい解説はない点だ。彼の開発した解読装置、bombeの動作原理は複雑なので説明がないのは致し方ないにしろ、エニグマの基本動作のはそれほど複雑ではないので、解説は是非欲しかった。簡略化した説明だけでもあれば、この解読作業がいかに面倒で厄介なものであるかが、よく伝わっただろうと思うと残念である。もっとも、この辺りの采配は商用映画という括りの中で娯楽映画寄りに振るか、あくかまでも史実に忠実かという微妙な点なので一概に良い悪いと言えないのが難しいところではある。
同様に、作中に出てくる置換式暗号の類型であるビール暗号やシーザー暗号についても解説は無い。
と、上映開始直後からチューリングの映画として観に来た人には物足りなさを感じさせる構成となっているが、一方で、チューングに詳しい人にしか分からないギミックも作中に散りばめられている。
分かりやすい例として、チューリングが必死の形相で田舎の砂利道を駈けているカットが作品の何ヶ所かに挿入されている。作品全体やカットの前後の流れからすれば、特別意味のあるカットではない(と思う)。チューリングはオリンピック選手並みの俊足ランナーだった、という事実から作られたカットだと思うが、制作陣のチューリングに対するリスペクトが滲み出ているように思う。
また、協調性も求められる暗号解読作業で孤立してしまう所、首相に直訴するカット、いずれもチューリングらしさが出た名演技といっていいだろう。
戦争が終結し、最後にこれまでの成果を解読チームの皆で火で燃やし、消し去るシーンがある。
Webの映画評論ポータルサイトでは、このシーンを背景に語られる言葉が意外で感動した、というコメントを多々目にした。確かに、演出方法として巧いやり方ではあると思うし、それに続く言葉が容易に想像できる自分でも目頭が熱くなった。だが、あの表現を文字通り受け止めてしまうと、コンピュータ黎明期を知らない人は誤った評価をしてしまうだろう。この辺り、もう少し丁寧なフォローが欲しかったというのは贅沢すぎるだろうか。(もっとも、彼の功績が礎となったのは間違いないのだが…)
作中で繰り返し出てくる台詞「時として誰も想像しないような人物が 想像できない偉業を成し遂げる。」
これがこの作品を通して伝えたかった最大の事ではないだろうか。
最後に、私の愛読書の一節を引用し、短評の終わりとしたい。
チューリングは数学や情報科学の天才であっただけではなく、30代からマラソンに目覚め、1948年のロンドン・オリンピックの候補になれるほどのすばらしい記録を出しているアスリートだった。人と目を合すこともできない繊細な性格の持ち主だったかもしれないが、決してひ弱な学者だったのではなはく、強い意志と目標を持って、誰も超えられなかった道をひたすら駆け抜けていったのだ。
B・ジャック・コープランド(著)・服部桂(訳)「訳者解説」『チューリング ―情報時代のパイオニア』NTT出版 2013 p.410
追記:
字幕で気になったのがmachineに対する和訳である。作中では「マシン」と統一されていたが、文意から理論的なロジックを含んだ言葉と物理的な機械としての意味の言葉として分けた方が観客にとって分かりやすいのではないかと思った。例えば、B・ジャック・コープランド(著)・服部桂(訳)の前掲書ではこの点について配慮されている。